私は残念な兄のせいで極貧生活を強いられました。
兄は高校卒業後専門学校を1週間で辞めて就職したんですが、そこからが間違いの始まり…元々お調子者タイプなんですが、就職先のお給料がわりと良かった為に調子に乗り、生活がハデになっていきました。
ただ、お給料は良い会社でしたがノルマが厳しく、クリアできなければお給料は下がる一方。
ハデな生活がやめられなかった兄はサラ金からお金を借り、あろうことか一人暮らししていたのに住所は実家にしていました。
お調子者タイプですが気が弱く、ちょっと強く注意されるとすぐ凹むような兄だったので、ノルマがクリアできず上司に注意されると仕事も辞めてしまいました。
嫌になるとすぐ辞めてしまうのでなかなか仕事も収入も安定せず、借金は膨らむばかり。
当然借金の取り立ては実家にくるので、毎日毎日取り立ての電話とピンポンの嵐でした。
一日中電話が鳴るので耳がおかしくなり、電話が鳴っていなくても鳴っているような錯覚に陥りました。
当時携帯電話は普及していなかったので家の電話がつながらないのは不便だったんですが、両親も私もノイローゼになりそうで電話線を抜いていました。
仕事が安定していない兄だったので、結局は両親が建て替えることになり、おそらく合法ではないようなところからもお金を借りてしまっていたので、目に見えてどんどん貧乏になっていきました。
新聞好きの父は朝刊、夕刊、スポーツ紙を取っていたんですが、ある日夕刊をやめ、しばらくしてスポーツ紙がなくなりました。
新聞だけなら朝刊さえあれば良かったんですが、夕飯のおかずが日に日に少なくなる日々。
夕飯のおかずも買えない状況なので、父のお小遣いもゼロになりました。
ただ、それなりに役職のある立場の父が全くお金を持っていないわけにはいかず、でも、母にお金を催促することもできなかったようで、早々と就職していた私に泣きながら頭を下げて貸して欲しいと言うことがありました。
お金がないというのは、そのこと自体も辛いですが、本当に心がきつくなるということを痛いほど知りました。