両親の経済観念が破綻していたので悲惨
おかげで物心ついた時から貧乏であることが普通の状態でした。
両親の結婚当初、母は実家が裕福だったためATMでお金をおろす方法すらわからない状態でした。
そのため家計の管理は父が行っていたようですが、性格が見栄っ張りの上に短期なため、仕事が長続きしませんでした。
しかし家に親戚や友人を招いて宴会をするのが好きで、家には常に客人がきており、もてなすための料理やお酒を運ぶ手伝いをした記憶が何回もあります。
子どもは私を含めて5人姉妹。
両親を合わせて7人家族なのに、大黒柱である父の収入が安定せず、宴会を行ったり高価な買い物を繰り返すうち、消費者金融からの借金は何百万円とふくれあがってしまいました。
その状態で父が末期ガンを発病。
入院費もかさみ、私が小学校に入学するころは本当に悲惨な状態でした。
借家は傾き、台風がくれば雨漏りだらけのうえに、木枠の窓が飛ばされないように皆で順番に押さえなければいけませんでした。
そうこうしているうちに借金をふやしたまま父は亡くなりました。
小学校のころのことは今でも思いだすのがつらいことばかりです。
ボロボロで傾いた家を友達に笑われたり、給食費が払えなくて待ってもらうように先生にお願いするのはまだかわいい方でした。
何人もの借金取りの人が、かわるがわる督促に家を訪ねてきました。
決まって母は私に応対をさせました。
お金がないので待ってください、ごめんなさいと謝るのは末っ子である私の役目でした。
家族が精神的に疲弊し、八つ当たりやストレス発散の標的になるのも私でした。
そんな状態だったので私は精神的な病気を発症してしまいました。
しかし、やっと借金を返し終えた時、私は何の苦労も知らない幸せ者と家族からいわれたのです。
死を何度も考えながらも、こんな人たちみたいになるかと歯を食いしばる日々は本当に長く続きました。
現在、私も結婚して実家を出て、ようやく家族との関わりも薄れ、質素ながらも幸せな日々が過ごせるようになりました。
精神的な病気は理解のある主人のおかげで比較的安定してきてはいますが、そのような状態の私に、母や姉はお金の無心をしてくることがあります。
工面する時もあれば、うんざりして断ることもあります。
主人と一緒に暮らしていても、一人で強く生きていける力をつけなくてはと肩に力が入ってしまい、甘えてよい時でもなかなか甘えることができません。
これは身にしみついた防衛本能のようなものなので、強くない体を無理しては働き、倒れてしまうの繰り返しです。
若いころの苦労は買ってでもしろと、事情をよく知らない大人からは励まされる日々でしたが、私は苦労を経験することはとても大切だけど、する必要のない苦労はわざわざしなくて良いと今でも真剣に思っています。